血管は我々高等動物が酸素や栄養分を全身にくまなく送り届けるために進化を経て獲得した組織(閉鎖循環系)です。しかも単なる管ではなく、血圧を調整したり、正常時は異所性に血液が固まること(凝固)を防止したり、感染が起きたら炎症を誘発して免疫細胞を誘導したりと、血管は生命の恒常性維持に間違いなく最も不可欠なものです(1)。また薬学の観点からも、薬効は必要臓器に血管透過性を元に薬物を運ぶことで初めて成立します。この血管は1本で繋がっているとみなした場合、一人で何と地球2周半の長さにも及ぶ大きな集団です。しかし、老朽化で管が錆びるように、加齢と共に生活習慣病・糖尿病の根源となる動脈硬化や高血圧、凝固バランス異常を引き起こし、心不全や脳卒中(いわゆる血管病)を誘発すること、更には固形がんに悪用されると病的血管新生を伴うがん悪性化や転移を促す事も知られています (図1)。今私たちを苦しめている SARS-Cov2 感染症の急な増悪化も血管病変と認識されつつあり、日本人の三大疾病(がん・脳/心血管病変)の病態原理解明と併せ、今や血管基礎研究は健康長寿社会構築に不可欠なものと考えます。
この血管を構築する土台が一番内側に存在する内皮細胞であり、その性質は血管の存在する臓器によって各々異なり、各臓器の機能に即した形状や遺伝子発現を行うことが知られています。その主因がエピゲノム制御です。当研究室ではES/iPS 細胞やヒト臍帯静脈内皮細胞を用い、血管内皮細胞増殖因子(VEGF)刺激による内皮分化や血管新生時のエピゲノム変化を全ゲノムにわたって解析しました(2)。その結果、内皮分化に不可欠な転写因子の同定だけでなく内皮固有の迅速なエピゲノム制御によって血管新生が促進されることが明らかとなりました(3,4)。これは、急激な環境要因の変化にも対応できるよう普段は遺伝子発現のアイドリング状態を維持しており、VEGF刺激によって瞬時に活性化できることを示唆しています。
我々は上記の VEGF 刺激で誘導される遺伝子ネットワークを網羅的に探索しました。そうすると、最も誘導されるtop 5 の遺伝子はいずれも、免疫や炎症を司る転写因子 NFAT によって制御されていること、一番強く誘導される遺伝子はダウン症関連因子 (DSCR)-1 と当時名付けられているものでした。でもダウン症と内皮の VEGF 刺激とどんな関係があるのでしょうか?毎日試行錯誤でしたが、DSCR-1 が NFAT 転写因子のフィードバック阻害を行うこと(5)、即ち VEGF 刺激に負の自己調節機構が存在することを初めて見出してからは、世界との激しい競争となりました。極めつけはダウン症の発症要因が DSCR-1 トリソミー発現によるNFAT 不活化であることの発見です(6)。我々はこれに基づいて、ダウン症患者が統計上有意に固形がんにならないという疫学データの答えが DSCR-1 のトリソミー発現にあることを見出しました(7)。さらにDSCR-1 を血管に安定に発現すると、がん増殖・転移を防ぐだけでなく、敗血症の急性血管炎にも抵抗性をもつことを報告しました (図2)(8)。ダウン症は人類遺伝学上最も高頻度な認知度の高い症候群です。高齢出産が当たり前となりつつある現在100人に一人の確率という驚くべきデータも出てきています。一方医療の高度化に伴い、平均寿命も格段に上昇し、想定外に、ダウン症ならではの血管病変の強い抵抗性を世界的に認知する結果となりました。但し早期アルツハイマー、高い白血病罹患率、弱視、雄性不妊など、ダウン症から得られる複合的な疾患原理は未だ解明途上です(9)。本研究はいち早くアルツハイマーの特効薬や抗炎症・抗がん作用を見出す創薬に繋がります。ダウン症の枠組みに留まらず、現在の超少子高齢化社会を果敢に健康に生き抜くヒントになるのかもしれません。