研究・教育紹介 RESEARCH

創薬基盤分子設計学

創薬基盤分子設計学

分子の「かたち」で反応を制御
かたち、と反応性の関係から医薬品創製のコンセプトを

 私達の研究室では、有機化学という分野の研究を行っています。有機化学は、医薬品や高分子など人間の生活に必要なものを人工的に合成するために必須な研究分野ですが、その基本は、化合物の化学的性質を知ることにあり、医薬品開発研究とは密接なつながりがあります。

 医薬品として用いられている低分子化合物は、生体との相互作用によりその活性を示します。相互作用がどのようなものかを知るためには、生体の構造を詳しく知ることだけではなく、低分子化合物側の性質を熟知することも極めて重要です。

 例えば、アセチルコリン((CH3)3N +-CH2CH2-O-CO-CH3)という神経伝達物質は、-CH2CH2-の部分がいろいろな形に変形することが可能で、神経伝達のために受容体に結合するときには、受容体側のくぼみに適合するように変形します。はじめから、受容体のくぼみ、に似た形に固定された化合物だと、受容体に結合しやすくなることが知られています。医薬品の場合、受容体に結合しやすいということは、効果が大きいということであり、医薬品開発において受容体に結合しやすい構造を「創製する」ということは重要です。

 実は生体と無関係な化学反応でも、分子の形が反応に大きな影響を与えることが知られています。私達の研究室では、反応の速度や選択性を向上させる、触媒、の分子の形を反応の進行に都合の良いように設計・合成して、効率的な反応の実現を目指しています。反応が有用化合物の合成に役立つものであれば、効率のよい触媒の開発は有意義ですし、さらに化合物間の相互作用についての新たな知見が得られれば、それは、生体と低分子化合物の相互作用を深く考えるためにも役立つはずです。

 化学反応の触媒には金属イオンが使われることが多いですが、その金属イオンの反応性を調整して、反応に都合よい状態にするために、配位子、というものが使われます。配位子は、金属イオンとの間で電子のやり取りをして触媒能力に影響を及ぼしますし、立体的な効果で反応性の制御を行うことも可能で、よい配位子の設計が良い触媒の開発に結びつきます。

 私達は、カルベン、と呼ばれる不安定な炭素化合物を配位子として活用する研究をしています。カルベンは、安定な状態で8つある最外殻電子を6つしかもたない炭素原子であり、極めて不安定なのですが、金属イオンと結合すると安定になり、金属イオンに強い影響を与えることができることが知られています。ただし、カルベン自体を実験的に取扱可能な程度に安定化するためには、立体的に大きな置換基で、保護、する必要があり、これが肝心な触媒としての反応性を損なうことがあり、問題となっていました。

 私達は、カルベンを保護するために、自由に動くことができない、ビシクロ環、というものを使い、最小限の立体的な、嵩高さ、で、安定なカルベン-金属イオン錯体を単離することに成功しました。それまでの研究だと、カルベン中のN原子上に非常に大きな置換基を導入することが必要だったのですが、我々は、N原子上は炭素置換基としては最小のメチル基で安定化することができました。

 この、カルベン-金属イオン錯体、は、反応の触媒能力もあり、金属イオンのまわりが、必要以上に遮蔽されていないために、それまでに反応が難しかった、立体的に嵩高い化合物、でも反応可能であり、また、反応の選択性も向上する、ということも明らかになっています。分子の形、を制御することで、化合物間の相互作用を制御して、反応性・選択性の向上に結びつけることに成功しています。

 ほんのわずかな反応の制御例ですが、化合物の構造と反応性の関係について、このような知見が積み重なっていけば、医薬品分子の設計においても有用な知見が得られてくると信じて、日々実験研究を繰り返しています。