研究・教育紹介 RESEARCH

生殖発生学

生殖発生学

生殖細胞研究を通して生命機能の普遍的な分子機構を探る

いのちをつなぐ生殖細胞

 私たちの体はおよそ37兆個,二百数十種類の細胞からできています。これら多種多様な細胞は,体細胞と生殖細胞に大きく分けられます。体細胞は,皮膚や筋肉,脳といった個体の体を作り,その生存のために働いています。それに対して,卵や精子といった生殖細胞は,個体の生存には必須ではないが,次世代へと生命をつなぐことのできるただ一つの細胞系列です。また,卵と精子とが融合してできる受精卵は,体を構成する全ての細胞になることのできる究極の幹細胞でもあります。

生殖細胞を生みだすしくみ

 多くの動物では,卵の一部に生殖質とよばれる特殊な細胞質領域が存在しており,胚発生過程で生殖質を取り込んだ細胞が将来の生殖細胞となります。生殖質は,生殖細胞を生みだすために必要なさまざまな因子から構成されています。その中には,タンパク質合成の鋳型となるmRNAが多く含まれています。mRNAは,さまざまな調節因子と一緒になって巨大な複合体を作り,生殖質が形成される場所まで運ばれます。面白いことに,輸送途中のmRNAの翻訳は多くの場合抑制されていて,mRNAの局在化にともなって翻訳の抑制が解除され,タンパク質が作られます。mRNAを適切な場所へと運び,適切なタイミングで,適切な量のタンパク質を作るために,mRNAと複合体を形成する因子の構成はダイナミックに変化すると考えられていますが,詳しいことはよくわかっていません。さらに,生殖細胞を生みだすためにはたらく生殖質因子の全貌は未だ不明であり,世界中の研究者たちがしのぎを削って研究を進めています。本分野では,このような生殖細胞を生みだすしくみについて,実験動物として優れた特徴を持つショウジョウバエを用いて研究を行っています(図1)。

ショウジョウバエ研究から普遍的な制御機構を探る

 ショウジョウバエは体長3 mm程度の小さなハエで,遺伝学の材料として100年以上の歴史を持っています。ショウジョウバエは私たちヒトとまるで違う姿形ですが,ゲノムや遺伝子のレベルでは両者に大きな違いはなく,多くの生命現象の分子基盤は共通していると考えられています。これまでにショウジョウバエを用いた研究から人間の健康科学や医科学研究に貢献する成果が数多く生まれており,ノーベル賞を6度も授与されています。たとえば,ヒトを含めた動物の発生メカニズムの多くは,ショウジョウバエを用いた研究によって明らかにされてきました(1995年ノーベル生理学・医学賞)。さらに,薬学上も重要な自然免疫や体内時計の研究も,ショウジョウバエの知見をもとに大きく発展してきました(2011年,2017年ノーベル生理学・医学賞)。また,神経細胞ではさまざまなmRNAがシナプス部位(神経細胞間でシグナルを伝達する場所)へと輸送され,局所的に翻訳されていますが,その制御機構は生殖質ができる過程でのmRNAの制御機構とよく似ていることがわかってきました。興味深いことに,神経細胞でのmRNAの局在と翻訳制御は記憶や学習に重要であると予想されています。

 本分野ではショウジョウバエを用いた研究によって,卵黄タンパクの取り込みが将来の卵となる卵母細胞の機能に重要な役割を果たすことを最近明らかとしました。卵黄タンパク質は,卵母細胞に取り込まれて,受精後の発生に必要な養分として使われることが広く知られていますが,その取り込みは,卵母細胞内の細胞骨格や生殖質因子の局在の制御にも必要であることを見いだしました。今後の生殖細胞研究にとって,卵黄タンパク質の取り込みという新しい視点が加わることは,胎盤の発達により卵黄タンパク質をほとんど失ったヒトに至るまでの生殖細胞の形成機構の進化過程や基本原理への理解にもつながるものと期待されます。このように,ショウジョウバエを用いた研究は未知の研究領域にも新たなヒントを提供しています。

図1 ショウジョウバエの生殖細胞の形成過程
 ショウジョウバエの卵形成過程は,卵巣の先端に存在する生殖幹細胞に由来します。生殖幹細胞の分裂によって生じた細胞はさらに4回の分裂を行い,1つの卵母細胞と15個の哺育細胞となります。これら16個の細胞は不完全な細胞分裂により互いにつながっています。生殖質因子は主に哺育細胞で産生され,卵母細胞に運ばれます。そして,卵母細胞の後端に集積して,生殖質が形成されます。成熟した卵母細胞が精子と受精し,胚発生が開始されると,生殖質を取り込んだ細胞のみが始原生殖細胞へと分化し,他の細胞は体細胞となります。(写真左下)卵形成過程でのStaufenタンパク質(生殖質因子の一つ)の染色像(緑色)。Staufenタンパク質は哺育細胞で産生され,卵母細胞に運ばれます。そして,卵形成過程の進行にともない卵母細胞の後端に集積します。(写真右下)初期胚の後端領域で形成される始原生殖細胞。生殖質因子の一つであるVasaタンパク質を緑色で染色しています。細胞核(DNA染色像)はグレースケールで示します。