研究・教育紹介 RESEARCH

天然薬物学

天然薬物学

海洋生物から薬をつくる

薬の原料はどんなもの?

 私たちが用いている医薬品のうちの約半分が、高等植物や微生物、動物を含めた天然資源由来であるといわれています。人類は、大昔から薬用植物を民間薬として使ってきましたが、ペニシリンのように微生物が生産する抗生物質なども、薬として広く使われてきました。そして、医薬品の20%以上は微生物に由来するといわれています。1 gの土の中には、100万個のカビ、1000万個の放線菌、さらに1億個の細菌が存在するといわれています。微生物は、自分の生活空間を確保するため、他の微生物が嫌う物質を体外に分泌していると考えられています。そして、そのような物質を私たちは抗生物質として利用しているのです。一方、動物が原料になっている医薬品は、植物や微生物に比べてあまり多くはありませんが、生薬としてセンソ(シナヒキガエルの毒腺の分泌物)、ボレイ(カキの貝殻)、ジャコウ(ジャコウジカの雄の分泌物)などが知られています。動物の中でも海洋生物(図1)の営みは人の目に触れることが少なかったこともあり、その成分に関する研究は20世紀半ばから始まったばかりです。それでも、食中毒や魚介類の斃死などをきっかけとして、海洋生物のもつ毒の存在が次々に明らかにされました。また、スキューバダイビング機材の発達により、研究者自身が水中の生物を観察し採集することが可能になったことも、海洋生物を用いた研究が活発になるきっかけとなりました。そして、海洋生物から次々と発見された物質の化学構造が、従来、植物から発見された物質に比べて複雑で変化にとんだものであるとともに、強い生物活性を示したことも、海洋天然物化学者の好奇心と研究意欲を大きくかき立てる動機となりました。また、海洋生物から発見された物質は、他の研究分野の研究者に対しても魅力的でした。すなわち、有機合成化学者にとって、海洋生物から発見された複雑な化学構造は、挑戦的な合成研究の標的となりました。さらに、生命科学研究者は、強く切れ味の良い生物活性物質を用いることにより、これまで未知であった生命現象を次々と解明していきました。

図1.薬用資源としての海洋生物

なぜ、海洋生物は薬になるような物質を持っているの?

 皆さんは、海に潜ってみたことがあるでしょうか? 陸上では、空気がきれいで視界を遮る建物がなければ遥かかなたまで見通すことができます(グランドキャニオンのようなところでしょうか・・・)。しかし海の中では、透明度が70 m以上のところもありますが、普通は、水中に浮遊している物質やプランクトンにより視界が妨げられるとともに、水温差によりぼやけるので、それほど遠くは見えません。そのように視覚や聴覚から得られる情報が限られた環境において、海洋生物は言葉の代わりに化学物質を海水中に分泌して情報交換をしていると考えられています。すなわち、①餌から漂ってくる美味い物質、②捕食を避けるために分泌している忌避物質、③受精する相手の配偶子から漂ってくる誘引物質などが知られています。そしてそのような物質を、私たちは薬として用いることができるのです。

熊薬での海洋生物資源を用いた研究は?

 本分野では、海洋生物からの創薬を目指して薬の候補物質の探索を行っていますが、以下にその過程を説明します(図2)。①採集:海綿やホヤなどの海洋無脊椎生物を採集します。そして、海洋生物の体内や海泥など海洋環境に生息する微生物を単離し培養します。②生物活性試験:採集した生物のアルコール抽出物や微生物の培養液を用いて、薬の候補物質が含まれているかどうかを試験します。たとえば、がん細胞の培養液に生物の抽出物を加えてみます。その結果、がん細胞の増殖が抑制される場合には、抽出物の中に将来がん治療薬となるような物質が存在すると考えられます。また、抽出物がカビの増殖を抑制する場合には、感染症治療薬が見つかる可能性があります。③精製:生物の抽出物や微生物の培養液の中には、薬の候補物質だけでなく多くの物質が混ざっているので、その中から薬の候補物質を純品にします。④構造解析:純品になった物質の化学構造を解析します。⑤作用機構解析:得られた物質が、どのようにして薬としての作用を示すのか解析します。

図2.海洋生物からの薬候補物質の探索

世界で初めて発見した物質の名前はどのようにして決まるの?

 新しい彗星を発見した場合、発見者の名前にちなんで命名するようですが、新しい物質の場合は、起源となる天然資源の学名や化学構造に基づいて命名するのが一般的です。以下に、私たちがこれまでに発見した物質の名前を紹介します(図3)。
①Notoamide(ノトアミド):能登半島で見つけたカビから見つけたアルカロイド。「アミド」は、RC(=O)-NR1R2で示す部分構造を指します。②Aspermytin(アスパミチン):二枚貝であるイガイから得たAspergillus属のカビから見つけた物質。イガイの学名はMytilus edulis galloprovincialisというので、Aspergillusにちなむ「Asper」にMytilusからとった「mytin」を結合してAspermytinと命名しました。当然の事ですが、命名の際には、まだ誰も使っていない名前をつけなければいけません。しかし、Aspergillus属のカビからはこれまでに膨大な数の物質が発見されているので、Aspergillusにちなんだ新しい名前を考えるのは容易ではありません。そこで、2つの学名にちなんでAspermytinと命名したのです。③Himeic acid(ヒメイック・アシッド):石川県にある姫という地名の海岸で見つけたカビから得た酸性の化合物。酸性物質の語尾は「-ic acid」とするのが一般的なので、「ヒメイック・アシッド(姫酸)」と命名しました。自分たちで命名するのは、研究の楽しみの一つです。ぜひ、熊薬でも新しい物質を見つけて、asoamide(阿蘇アミド)やkumaic acid(熊酸)などと命名したいと考えています。

図3.海洋生物から発見した新規物質