研究・教育紹介 RESEARCH

ゲノム神経学

ゲノム神経学

ゲノム高次構造からなる脳の個性・病態を解き明かす

1. 脳の「記憶・個性」はゲノムで作られる?

 個体のゲノムは自然に変異を蓄積し、これにより個体の多様化が起こります。環境に適応した個体が選択されると多様性は低下し、新しい性質が共通の性質になります。つまり、多様化の増減を繰り返す過程が「進化」です。全てのゲノムは数十億年前の生命誕生まで遡ることができ、ゲノムDNAに蓄積された過去の記憶は「ゲノムの個性」と言えます。

 しかしながら、個体の全ゲノムDNAを解読したとしても全ての個性を同定できません。なぜならば、個体は様々な経験を通して、ゲノムでは決まらない個性を作り上げていくからです。言い換えると、「経験」が「記憶」され、その「記憶」が「個性」となります。記憶は記録された情報ではなく、経験→記録→呼び起こしという順序で進む一連の過程です。この時の脳における記憶媒体は、「ゲノムDNA・RNA高次構造」「神経ネットワーク」の両方からできていると考えられます。

2. 神経細胞は「記憶」を統合した「個性」を表現する?

 神経細胞は、通常の体細胞とは異なるレベルの情報システムを形成しています。この情報システムは、神経細胞同士の階層的なネットワークや回路を基盤にしていますが、ゲノムDNA・RNA高次構造と密接な相互依存関係にあります。

 神経細胞以外の体細胞では、個々の細胞にランダムに蓄積した様々なゲノムDNA・RNA高次構造の変化が集合し、その記憶が個性(臓器や個体の機能)として表現されます。しかしながら、この体細胞の個性は単なる「集合体」であり、「統合」されることはありません。一方、神経細胞では、細胞レベルのゲノムDNA・RNA高次構造の変化に起因する個性が神経回路の「高い自立性」と「興奮伝達の共通原理」によりネットワークとして共有され、「統合」されます。さらに、神経ネットワークを起点として他の多くの体細胞も統合されます。また、神経ネットワークは、外部刺激によるシナプス結合の特異性や強さを変化させるためにゲノムDNA・RNA高次構造に依存したメカニズムを用います。つまり、「経験」による神経細胞の「個性」がネットワーク全体の「個性」として「記憶」・「統合」されると考えています。

3. ゲノムDNA・RNA高次構造の多様性と脳機能の関連性

 ゲノムDNA・RNA高次構造には多様性があることが知られています。一般的に知られている DNAは、「B型DNA」と呼ばれる右巻き二重らせんですが、それ以外にも左巻き(Z-型)DNA、三重鎖(H-型)DNAなど「非B型DNA」と呼ばれる構造が発見されており、DNAはその配列の特徴や溶媒の環境により右巻き二重らせん以外の構造を形成します。

 私達は、非B型DNA・RNA構造のひとつである「グアニン四重鎖 (G4; G-quadruplex)」と呼ばれる核酸高次構造に着目しています。G4構造は、グアニンが豊富な配列領域で一本鎖DNA(G4DNA)もしくはRNA(G4RNA)で形成されます。G4構造には興味深い化学的性質(容易にゲル化する、陽イオン依存性に重合する等)がありますが、生物学的な役割は未だ明らかにされていません。私達は、「G4構造は脳の記憶機能において重要な役割を担う」という仮説に基づき、以下の研究を進めています。

  1. ゲノム上のG4構造の数・場所・構造は神経細胞の刺激や成長で変化するか?
  2. G4構造は神経細胞の遺伝子発現、シナプス伝達、エピゲノムに関与するか?
  3. G4構造の動的変化は脳の記憶機能に影響するか?

4. ゲノムDNA・RNA高次構造が関与する神経疾患の病態解明と創薬研究

 これまで、私達は G4構造の異常がATR-X 症候群や CGG トリプレットリピート病 FXTAS の発症に関与することを明らかにしてきました。さらに私達は、これら神経疾患の認知機能低下に対して、安全性の高いG4構造作用薬を見出しました。一方で近年、ロングリード・シーケンサーを用いた解析により、FXTAS 以外の多くの CGG トリプレットリピート神経病が相次いで報告されています。さらに、自閉症スペクトラム障害の脳では、ゲノムのリピート配列が健常人よりも多く存在することが報告されています。これらの報告は、神経疾患における核酸構造の重要性を強く裏付けています。引き続き私達は「G4構造を含めたゲノムDNA・RNA高次構造異常による神経疾患の発症」に関する最先端の基礎および創薬研究を行います。

 最近の私の研究成果も含め、ゲノムDNA・RNA高次構造脳機能は密接に関連していることがわかってきました。今後も俯瞰的に研究を進めることで、「脳の個性・病態」の謎を解明し、創薬研究により人類に貢献します。