研究・教育紹介 RESEARCH

生体機能分子合成学

生体機能分子合成学

薬のもとになる合成化合物を創る

はじめに

 人類は病気や怪我を治すため、古くから植物など天然由来のものを利用してきました。20世紀になって有機化学が進歩し、人工的に合成された化合物が薬として使われるようになりました。現代において天然物の利用も引き続き重要ではありますが、ここでは本分野で行っている生物活性をもつ人工化合物の創製についてお話ししたいと思います。

エイズ根絶に繋がる化合物の創製―分子設計に基づく合成

 今から40年前にアメリカでエイズが報告され、それからすぐに原因となるエイズウイルス(HIV)が発見されました。その後、様々な抗HIV薬が市場に出ました。HIVは変異し易く抗HIV薬から逃げる性質をもつのですが、それに対抗して創薬研究者が多くの薬をつくったのです。現在では、性質の異なる2-3種類の薬を組み合わせて飲むことで、HIV感染者のエイズ発症を抑えることができるようになりまし。しかし、HIVは寿命の長い細胞にも感染するため、体内から完全にHIVを除去し根絶することができません。エイズの根絶は、科学者が達成すべき大きな目標です。

 そこで私たちは、「Lock-in and apoptosis」(HIVを細胞に閉じ込めその細胞を殺す、といった意味)という方法を提唱しました。すなわちHIVが細胞から出芽放出する時、HIVがもつGagというタンパク質が細胞膜に結合しますが、このGagの膜結合を抑える化合物を創りたいと考えました。実はGagは、細胞膜に存在するイノシトールリン脂質(PIP2)という天然分子に結合することで膜に結合します。私たちはPIP2の構造を参考に、この分子よりもGagに強く結合する人工化合物をいくつか設計して合成しました。L-HIPPOと名付けたそのうちの1つの化合物が非常に強くGagに結合し、細胞からのHIV放出を抑えました。さらにおそらく細胞内部に異常に蓄積したGagなどHIVタンパク質により、細胞はアポトーシスにより死んだのです。

 この基本原理は、エイズ根絶に繋がるはずです。本方法を発表したところ、国内外の何人ものエイズ患者様から、この方法を使って自分の体内のHIVを除去したいという連絡をいただきました。残念ながらすぐに使える状況にあるわけではないのですが、近い将来の臨床応用を目指して研究を続けています。

線維化を抑える化合物の創製―偶然による発見

 肺、肝臓、腎臓、皮膚などの線維化、すなわちコラーゲンの過剰産生に起因するいろいろな臓器の病気がよく知られています。この線維化を抑える薬があれば、様々な病気を治すことができます。私たちはこのような化合物が欲しいと思ったのですが、研究室で保有しているいろいろな化合物を調べてみた結果、なんと別の目的で合成を行った際の、HPH-15と名付けた合成中間体が抗線維化活性をもっていたのです。20世紀半ばに、イギリスのフレミングが偶然ペニシリンを見つけたのは有名な話ですが、セレンディピティーと呼ばれる偶然の発見を見逃さない眼力は今日においても重要なのです。

 HPH-15は私たちが偶然に出会った「薬の芽」です。これがどのようにして線維化を抑えるのか、今、詳しく調べていますが、当初は予想もしていなかった新しいことが明らかになりつつあります。HPH-15を実際の治療に役立つ薬にまで育てていきたいと思っています。

抗エイズウイルス化合物から抗細胞遊走活性化合物への転換―結合タンパク質同定による発見

 現在、日本人の死因の第一位は癌です。癌が手強い疾患である理由の一つは、癌細胞が遊走活性をもち、しばしば他の臓器に転移を起こすことです。転移を抑える薬があれば、癌の致死率は下がると考えられます。

 私たちはある時、知り合いのHIV研究者から、「BMMPと名付けられた化合物が抗HIV活性をもつことを見つけたが、自分の手では合成ができないので、この先の研究を続けてほしい」と言われ承諾しました。そこでBMMPの誘導体を合成するとともに、結合タンパク質を同定することにしました。そのために、BMMPに担体に固定する「のり」となるビオチンと言う化合物を結合させたもの(Bio-BMMP)を合成しました。それを担体に結合させ細胞抽出液と混ぜ、結合したタンパク質を同定したところ(このような方法をケミカルバイオロジー法という)、hnRNP MというRNA結合タンパク質でした。まずこのタンパク質がBMMPの抗HIV活性発現に関わるか調べたのですが、関連は見られませんでした。その時はがっかりしたのですが、よくhnRNP Mの機能を文献調査してみたところ細胞遊走に関わりそうであることがわかりました。そこでBMMPの抗細胞遊走活性を調べたところ、なんと予想通りにそのような活性が見られましたた。

 BMMPはすぐに販売できる医薬品になるわけではありませんが、癌転移抑制剤として発展できると考えています。

おわりに

 このように、生物活性をもつ化合物を創ることには様々な経緯があり、どれもおもしろいです。そのためには化学、生物に亘る広い知識や技術が必要です。私たちの分野では、有機合成や生物実験を自分たちの手で行います。さらに必要な場合には、国内外の共同研究を行います。それぞれの研究者は、人の役に立ちたいという気持ち、好奇心、野心といった多様なモチベーションをもって研究しています。共同研究においては、互いのモチベーションを理解し合うことが最も大切なのではないかと思っています。