
薬や治療の開発は人類の英知を結集した総合科学です。その基盤となる薬学という学問を基礎とした研究を実施する薬学部は、生命科学、臨床、有機化学、物理化学の全てがそろっている唯一の学部です。我々の研究室では、このような多様な研究領域を融合させることによって、薬学発の技術による新たな創薬や治療に貢献することを目指しています。
脳には関門が存在し、血液中の薬が脳の中に入らなくなっています。これは脳の毛細血管を構成する細胞が隙間なく接着しているため、「血液脳関門」と呼ばれています(図1)。この血液脳関門の存在が脳に効く薬の開発を難しくしています。一方で、脳は全身のエネルギーの20%を消費している組織であるため、血液からエネルギー源が供給される必要があります。また、脳の中でできたゴミとなる物質を血液に出す必要があります。血液脳関門には血液中の脳に必要な物質を脳に供給し、脳内のゴミを血液中に排出する輸送機能も有しています(図1左)。このように血液脳関門は脳と血液の間の物質交換を制御し、脳内の環境を維持する重要な役割を果たしています。一方で、血液脳関門を構成する脳毛細血管は微小組織のため解析が困難であり、脳科学領域の中で解明が遅れていました。そこで、我々は血液脳関門を解析するさまざまな技術を開発し、新たな機能や疾病との関わりを明らかにしてきました。
開発した技術の一つは血液脳関門のタンパク質を網羅的かつ高感度に検出するプロテオミクスと呼ばれる技術です。また、マウス1匹の脳から脳毛細血管を高純度に抽出する技術も開発しました(図1右)。これらの技術を用いることにより、ヒト、マウスとサルの間や新生児と成体マウスの間において、血液脳関門がどのように異なるのかを明らかにしました。また、アルツハイマー病や糖尿病の進行に伴う血液脳関門の変化も解明しています。現在、血液脳関門の機能不全が原因となる小児中枢疾患(脳クレアチン欠乏症)の治療法の開発にも取り組んでいます。
手術で切除可能な時期にがんを発見できる早期発見と、適切な薬や治療を選ぶことができる個別化治療を可能とする診断法の実現が、日本での死因第一位であるがんの治療効果を大幅に改善すると期待されています。がん診断は主に血中に存在する特定のタンパク質を測定することにより行われます。この特定のタンパク質をバイオマーカーと呼びます。私たちは微小組織である血液脳関門のタンパク質を解析するために開発した最新の技術が、がん診断のバイオマーカーを見つけて性能を評価するのに有用であることに、医師との議論の中で気づきました。その結果、全国の医師と協力し、従来の診断では見つけることが難しかった早期がんや再発がんの発見に有効なバイオマーカーを同定し、診断法の検証を進めています。
分子標的薬は、その効果からがん治療に非常に有効であり、多くの製薬会社が開発を行い、医療現場でがん治療に使用されています。一方で、イレッサのように致死的な副作用が問題となるだけでなく、高価であるために患者の経済的負担は大きくなります。分子標的薬は、その名の通り薬が標的とする分子(タンパク質)が明確です。そこで、我々はがん組織での複数の標的タンパク質の量を測り、その量によってその患者に効く薬を判断できるのではないかと考えました。金沢大学大学院医学研究科の中田光俊教授との共同研究により、脳腫瘍の患者のがんに発現する標的タンパク質の量を測り、その情報をもとに薬を選択し治療を行いました(図2)。その結果、別のがんに対する薬によって脳腫瘍の縮小効果が得られました。つまり、タンパク質の量による診断は分子標的薬の選択に有効です。同様のコンセプトによる治療薬の選択は、がん遺伝子パネル検査として個別患者の遺伝子変異情報をもとに行われていますが、適切な薬剤や治療が選択できた患者は20%程度と言われています。我々の研究では薬が直接作用するタンパク質の情報を用いていることから、より多くの患者に適切な薬や治療を選択できると考えています。
薬を届かない臓器に届ける技術や、目的の臓器に適切なタイミングで届ける技術をドラッグデリバリーシステム(DDS)と呼びます。我々の研究室では、「インスリンが注射ではなく、飲み薬として使えるのであれば......」、「アルツハイマー病など、脳の病気に効く薬を、もっと効率よく脳内へ届けられるようにできれば......」という願いの実現を目指しています。私たちの体には、異物の侵入を防ぐ「組織関門」という強固な生体バリアが立ちはだかっています。栄養を選択的に吸収する「小腸上皮」や、脳を異物や外敵から守る「血液脳関門」がその代表です。この守りの仕組みは生命維持に不可欠ですが、同時に、治療薬の行く手を阻む「厚い壁」でもあります(図3)。
私たちは、この強固なバリアを壊すのではなく、バリアを構成する細胞そのものを「薬の通り道」へと変える革新的なアプローチに挑みました。ここで着目したのは、細胞が物質を取り込み、反対側へと受け渡す輸送機構です。この仕組みを起動させる"魔法の鍵"を見つけ出せば、薬をバリアの向こう側へ運べるはずです。その鍵の候補として選んだのは、数個から数十個のアミノ酸が連なった「ペプチド」でした。理想の鍵を探すために駆使したのは、「ファージライブラリー技術」です(図4)。これは、数兆種類という数のペプチド候補から、目的の性質を持つものだけを効率よく選び出す技術です。私たちは、組織関門を再現した細胞モデルを使い、バリアを通り抜けることができたペプチドだけを回収・増殖させるプロセスを繰り返しました。いわば、試験管の中で超高速の「進化」を再現し、難攻不落の関門をこじ開ける最適な分子を見つけ出したのです。
この手法により、私たちはまず小腸上皮を通過できる「DNPペプチド」を発見しました。さらに私たちは、このDNPペプチドにインスリンと結合する配列を付加した「D-DNP-Vペプチド」を開発しました。このペプチドを亜鉛イオンを中心に6量体を形成するインスリン製剤に混ぜて投与することで、小腸からの吸収が可能となり、糖尿病モデルマウスにおいて血糖値の低下が確認されました。また、DNPペプチドを直接インスリンに結合させる技術も創出しました。すなわち、注射に頼らないインスリンの経口投与(飲み薬化)を実現する可能性が示されたのです。
研究はさらに、脳への薬物送達に展開しました。同様の手法により、私たちは血液脳関門を通過できる「SLSペプチド」を同定しました。このSLSペプチドを付加したナノ粒子は、動物実験において脳内への移行が確認され、ヒトに近い血液脳関門モデルでも高い透過性を示しました。さらに、この技術により、これまで脳へ届けることが困難であった中・高分子医薬品を効率よく脳内へ送達できる可能性が示され、アルツハイマー病などの中枢神経疾患に対する新たな治療法の開発が期待されます。
私たちの発見により、小腸や血液脳関門といった強固なバリアを越えて薬を運ぶ「組織関門透過ペプチド(TBPP)」という新しい概念が確立されました(図5)。この技術が実用化されれば、バイオ医薬品の飲み薬化や、脳疾患に対する画期的な治療法の開発が大きく前進します。