
私たちの体には、ウイルスや細菌から身を守るための「抗体(免疫グロブリン)」というタンパク質が存在します。抗体は、特定の標的(抗原)だけを見分けて結合できるという優れた性質をもっています。この性質は、病気の原因となる分子だけを狙って働く「薬」としても利用されています。抗体の中でも、標的を認識する重要な部分(可変領域;図1、緑色の箱の部分)だけを取り出して小型化したものが「一本鎖抗体(single-chain variable fragment;scFv)」です(図1-a)。scFvは分子量が小さいため、体内や細胞内で素早く働くことができ、診断や治療への応用が期待されています。しかし、scFvは構造が不安定になりやすく、機能が低下しやすいという課題があり、医薬品としての実用化は容易ではありませんでした。私たちの研究室では、この課題を解決するために、scFvの両端をつなげて輪のような構造にした「環状一本鎖抗体(環状scFv)」を開発しました(図1-b)。この構造により、従来のscFvに比べて安定性が大きく向上し、より実用的な分子として利用できる可能性が示されました。scFvを使った抗体医薬品の中でも近年、「二重特異性T細胞誘導抗体(Bispecific T-cell Engager;BiTE抗体)」と呼ばれる抗体医薬が注目されています(図2)。これは、免疫細胞であるT細胞とがん細胞を一時的に結びつけることで、がん細胞だけを選択的に攻撃させる仕組みをもっています。しかし、従来のBiTE抗体は設計が複雑で、開発に時間がかかることや、部品となるscFvが凝集しやすいという問題がありました。そこで私たちは、安定性の高い環状scFvを組み合わせた新しいBiTE抗体を開発しました(図2)。この抗体は、2種類の環状scFvを連結することで作られており、標的を変えるだけでさまざまながんに応用できる「プラットフォーム」としての可能性ももっています。この新しい抗体を用いた研究では、複数のマウスがんモデルにおいて、腫瘍の成長抑制や転移の抑制といった効果が確認されました。さらに、患者由来のがん組織を用いたモデルでも、高い抗腫瘍効果が示されており、実際の医療応用に向けた重要な成果となっています。
熊薬では、このように分子レベルの基礎研究から、新しい治療法の開発までを一貫して行っています。私たちの研究は、「必要な細胞だけを狙って治す」次世代医療の実現につながるものです。
計算機は日々、進化し続けています。一昔前までは大型のスパコンが必要だった高度な計算が、今や市販のゲーミングPCをカスタマイズしたマシンで、しかも数時間でこなせる時代になりました。私たちの研究室では、この「計算機のパワー」を駆使して、創薬をより効率的に行う手法の開発に挑んでいます。
先の項でも紹介した「一本鎖抗体」は、有用であるものの、「構造が不安定で壊れやすい」という欠点があります。薬として利用するために、この弱点を克服しなければなりません。しかし、膨大なアミノ酸の組み合わせから、安定な変異体を闇雲に探すのは至難の業です。私たちは、分子動力学(MD)シミュレーションという、タンパク質の動きを原子レベルで、計算機上で可視化する手法を駆使し、この課題に取り組んでいます。
図3はタンパク質の変性過程を示しています。タンパク質には「壊れやすい弱点」があり、そこが起点となって変性し、ダマになります(図3)。このような領域のゆらぎを抑える変異体を設計することで、タンパク質を安定化することができます。図4は一本鎖抗体の動きを分子動力学法によりシミュレーションした結果になります。元のタンパク質では揺らぎが大きく、「壊れやすい弱点」があります(図4)。次に、その周辺のアミノ酸の一部を置換した変異体を設計し、「壊れやすい弱点」の動きがどうなったかを再び分子動力学シミュレーションで評価します。このサイクルを高速で回すことで、安定性が高い変異体の候補を効率的に見つけます。実際に、私たちが見つけ出した変異体では「壊れやすい弱点」となっていた領域のゆらぎが抑えられていました。この変異体を、実際に大腸菌を使って調製してみたところ、熱変性温度が5℃程度向上しており、理論通り安定性が上がっていることが確認されました。計算機上での予測を、すぐさま自分の手で証明する、このスピード感こそが、未来の創薬を支える鍵となります。
私たちの体では、多くのタンパク質が正しく働くことで生命活動が保たれています。しかし、タンパク質が異常な形で集まり、「アミロイド」と呼ばれる線維状のかたまりになると、臓器の働きを妨げることがあります。このような状態によって起こる病気がアミロイドーシスです。その一つである遺伝性ATTRアミロイドーシスは、「トランスサイレチン(TTR)」という血液中のタンパク質の遺伝子に変異が起こることで発症します。変異したTTRはアミロイド線維を形成しやすくなり、それが神経や心臓などの臓器に沈着すると、しびれや臓器機能の低下などの症状を引き起こします。日本はこの病気の患者数が世界で3番目に多い国であり、熊本大学には診断と研究の拠点があります。近年では、アミロイド形成を抑える薬や、TTRの産生を減らす薬が開発され、治療は大きく進歩してきました。しかし、なぜこの病気が発症するのかという根本的な仕組みには、まだ多くの謎が残されています。例えば、同じ遺伝子変異を持っていても、地域によって症状の重さが異なることや、一卵性双生児でも発症する年齢が違うことが知られています(図5)。さらに、変異したTTRは生まれたときから体内で作られているにもかかわらず、アミロイドが臓器にたまり始めるのは多くの場合、中年以降でありタイムラグが生じます。これらの事実は、遺伝子だけでなく加齢による体内の変化が病気の発症に関わっている可能性を示しています。
私たちはこの謎を解くため、老化研究で広く使われる「線虫」という小さな生物を用いて研究を進めています。これまでに、加齢に伴ってTTRアミロイドが体内に蓄積する疾患モデル線虫の作製に成功しています(図6)。このモデルを利用することで、老化とアミロイド形成の関係を分子レベルで調べることができます。将来、この研究からアミロイド形成を引き起こす新しい仕組みが明らかになれば、それを標的とした新しい治療薬や予防薬の開発につながると期待されます。病気の本当の原因を理解することが、未来の医療を切り拓く第一歩だと考えて研究に邁進しています。