研究・教育紹介 RESEARCH

生体機能分子合成学分野

生体機能分子合成学分野

薬のもとになる合成化合物を創る

はじめに

 古くから人類は身の回りにある植物、草根木皮などを病気や怪我を治すために利用してきた。先人の知恵である。近代、現代になって有機合成化学が進歩し、天然化合物だけでなく人工的に合成された人工化合物も薬として使われるようになった。生体機能分子合成学分野では、生体機能化学と有機合成化学の両方の立場から創薬に取り組んでいる。天然化合物も人工化合物も、人体内に入ればタンパク質、核酸、酵素などの生体分子と相互作用するだろう。そして、薬としての作用を示すこともあるだろうし、逆に毒性を示すこともあるだろう。ここで私たちは、薬効や毒性が現れるメカニズムを明らかにしたい。また、化合物が生体分子のうちのどれと相互作用するのか、標的となる生体分子をつきとめたい。そうすれば天然化合物や人工化合物の構造を改良することができるだろう。これを何度も繰り返せば「効くもの」に到達するだろう。こうして創薬を目指すのが、生体機能分子合成学の研究コンセプトで、やってみると大変だけれど、すごく面白く、楽しいと思う。ここでは当分野で行っている生物活性をもつ人工化合物の創製についてお話ししたい。

天然ブレオマイシンから人工ブレオマイシンへ、そして予期せぬ展開が

 当分野で行っている研究の源流をたどっていくと、1964年に発見された抗がん抗生物質ブレオマイシンまで遡ることができる。ブレオマイシンは放線菌が産生する糖ペプチドで、図の点線で囲った部分で鉄に結合し、活性酸素を発生してがん細胞のDNAを切断するという、ユニークな作用機序をもっている。ブレオマイシンは悪性リンパ腫と扁平上皮がんに効果を示すものの、肺線維症を起こすという副作用があった。そこで、有機合成によってブレオマイシンの構造を改変して、線維化を起こさないようにしたいと考えたことが、当分野の研究の出発点となった。

 まず始めに、ブレオマイシンの複雑な構造のなかから、鉄に結合する部分を取り出して単純化した化合物を合成し、これをPYMLと名付けた。予想どおり、PYMLは鉄と結合し、酸素を活性化する機能を持っていた。文字通り「人工ブレオマイシン」と言えた。ここまでは。

 次に、PYMLの構造を左右対称な構造にしたらどうだろうと考え、ピリジンとヒスチジンを連結したHPHという化合物を合成した。ピリジンの両側に同じものをつければよいのだから、実はこちらの方が合成が容易である。そこで合成してみたところ、予期せぬことにHPHは鉄ではなく亜鉛と結合し、がんやエイズの発症に関連した亜鉛タンパク質を阻害することが分かった。ポジティブな結果を得たが、「人工ブレオマイシン」から逸脱する方向に進んでいるかのようだった。

 次に、硫黄を含むアミノ酸であるシステインが亜鉛に結合する性質があることから、HPHにシステインを組み込んでみた。そうしてたどり着いたHPH-15という化合物は、予期に反して亜鉛に結合する様子がなかった。しかし、これで行き止まり、というわけではなく、喜ばしいことにHPH-15は線維化を抑える活性を持っていたのであった。

 さきに述べたようにブレオマイシンは線維化の副作用を持っている。マウスの皮膚にブレオマイシンを注射するとその箇所が線維化する。そのマウスにHPH-15を経口投与したところ、皮膚の線維化が治癒してしまった。ブレオマイシンの構造を大胆に変形しているうちにブレオマイシンから遠く離れたところまで来てしまったが、「ブレオマイシンの構造を改変して、線維化を起こさないようにしたい」という最初の目的が図らずも達成された。更に、HPH-15は抗糖尿病活性も併せ持つことが分かった。現在は、HPH-15の作用メカニズムの検討、HPH-15が相互作用する標的の探索、安全性の検討など、創薬に向けた社会実装を目指している。

 20世紀半ばに、イギリスのフレミングが偶然ペニシリンを見つけたのは有名な話であるが、セレンディピティーと呼ばれる幸運な偶然の発見を見逃さない眼力は今日においても重要なのである。HPH-15は私たちが偶然に出会った「薬の芽」である。これがどのようにして線維化や糖尿病を抑えるのか、今、詳しく調べているが、当初は予想もしていなかった新しいことが明らかになりつつある。HPH-15を実際の治療に役立つ薬にまで育てていきたい。

エイズ根絶に繋がる化合物の創製―分子設計に基づく合成

 今から45年前にアメリカでエイズが報告され、それからすぐに原因となるエイズウイルス(HIV)が発見された。その後、様々な抗HIV薬が市場に出た。HIVは変異し易く抗HIV薬から逃げる性質をもつのだが、それに対抗して創薬研究者が多くの薬を創ったのである。現在では、1日1回1錠の薬を飲むことで普通の生活を送ることができるようになっている。しかし、HIVは寿命の長い細胞にも感染するため、体内から完全にHIVを除去し根絶することができない。エイズの根絶は、科学者が達成すべき大きな目標である。

 そこで私たちは、「Lock-in and apoptosis」(HIVを細胞に閉じ込めその細胞を殺す、といった意味)という方法を提唱した。すなわちHIVが細胞から出芽放出する時、HIVがもつGagというタンパク質が細胞膜に結合するが、このGagの膜結合を抑える化合物を創りたいと考えた。実はGagは、HIVが感染した細胞の細胞膜に存在するイノシトールリン脂質(PIP2)という天然分子に結合することで膜に移行してそこに局在する。私たちはPIP2の構造をもとに、この分子よりもGagに強く結合する人工化合物をいくつか設計して合成した。L-HIPPOと名付けたそのうちの1つの化合物が非常に強くGagに結合し、細胞からのHIV放出を抑えた。さらにおそらくGagなどHIVタンパク質が細胞内に異常に蓄積したことにより、細胞は中のHIVもろともアポトーシスにより死んだのである。

 この基本原理は、エイズ根絶に繋がるはずである。本方法を発表したところ、国内外の何人ものエイズ患者様から、この方法を使って自分の体内のHIVを除去したいという連絡をいただいた。残念ながらすぐに使える状況にあるわけではないのだが、近い将来の臨床応用を目指して研究を続けている。

L-HIPPOからフィチン酸プロドラッグPro-IP6への展開

 L-HIPPOの構造は図に示したように、イノシトールにリン酸が6個ついた頭部(IP6またはフィチン酸と呼ばれる)に短めの2本の脂質尾部が結合したイノシトールリン脂質の一種である。L-HIPPOは細胞内でGagと結合することによってLock-in and apoptosis機能を発揮するわけだが、実はL-HIPPOを細胞の中に入れるのが難しく、細胞膜を透過させるために特殊な試薬を使わなければならなかった。L-HIPPOに何らかの構造修飾を施し、細胞透過性を持たせることはできないだろうか。最初からL-HIPPOでやると難しそうなので、脂質尾部のないIP6の方が易しそうだと思われたので、IP6で練習することにした。

 調べてみると、IP6はマイナス電荷をもったリン酸基(-OPO32-)が6個もあるために細胞膜透過性が乏しいことは周知のことのようだった。しかし我々はあまり気にせず、プロドラッグというアプローチをとることにした。プロドラッグとは、細胞膜を透過しづらい親薬物に疎水性基を導入し、細胞膜を透過しやすくしたものである。プロドラッグが細胞内に入ると細胞内の酵素で疎水基が加水分解されて親薬物が遊離してくるという仕組みである。

 疎水性基として酪酸を導入することとし、IP6すなわちフィチン酸のプロドラッグを合成することにした。リン酸基(-OPO32-)には2つのマイナス電荷があるので、12個の酪酸を導入することになる。プロドラッグには疎水性基を1個かせいぜい2個入れるのが通常で、12個も入れるのは聞いたことがない、というのがプロドラッグの専門家の先生のご意見だったようである。しかし我々はあまり気にせず試したところ、うまくいったのであった。フィチン酸に酪酸を導入したプロドラッグを我々はPro-IP6と名づけた。

 L-HIPPOはLock-in and apoptosis機能を持つが、穀物や豆類などに含まれるフィチン酸も、種々の有用な生物機能を持っている。フィチン酸の癌に対する保護効果と抗癌効果は広く研究されている。これらの効果はマウスとラットを用いて実証されており、疫学調査ではIP6摂取量と癌の発症との間に負の相関関係があることが示されている。フィチン酸プロドラッグはL-HIPPOの代わりの練習以上の、生物活性を指向した積極的意義があるということができる。

 まず、Pro-IP6がIP6のプロドラッグとして機能していることを確かめた。HeLa細胞をPro-IP6で処理し、細胞溶解液をイオン交換樹脂で精製し、樹脂からの溶出液(IP6を含む)をトリメチルシリルジアゾメタンと反応させてメチル化し、生成したIP6メチルエステルをLC/MSで確認することができた。

 Pro-IP6を用いた細胞実験では、アポトーシス誘導やAkt活性化阻害など、選択的な抗がん効果が実証された。一方、IP6は明確な細胞毒性を示さなかった。さらに、成体T細胞白血病マウスを用いた生体内試験でも、Pro-IP6ががんのサイズを縮小させることが示された。

 このように、フィチン酸をプロドラッグにすることで、細胞膜を透過させ、各種の細胞とマウスで抗がん作用を確認することができた。この結果を、今後、L-HIPPOのプロドラッグに応用していきたい。

抗エイズウイルス化合物から抗細胞遊走活性化合物への転換―結合タンパク質同定による発見

 現在、日本人の死因の第一位は癌である。癌が手強い疾患である理由の一つは、癌細胞が遊走活性をもち、しばしば他の臓器に転移を起こすことである。転移を抑える薬があれば、癌の致死率は下がるであろう。

 私たちはある時、知り合いのHIV研究者から、「BMMPと名付けられた化合物が抗HIV活性をもつことを見つけたが、自分の手では合成ができないので、この先の研究を続けてほしい」と言われ承諾した。そこでBMMPの誘導体を合成するとともに、結合タンパク質を同定することにした。そのために、BMMPに担体に固定する「のり」となるビオチンと言う化合物を結合させたもの(Bio-BMMP)を合成した。それを担体に結合させ細胞抽出液と混ぜ、結合したタンパク質を同定したところ(このような方法をケミカルバイオロジー法という)、hnRNP MというRNA結合タンパク質であった。まずこのタンパク質がBMMPの抗HIV活性発現に関わるか調べたのであるが、関連は見られなかった。その時はがっかりしたのであるが、よくhnRNP Mの機能を文献調査してみたところ細胞遊走に関わりそうであることがわかった。そこでBMMPの抗細胞遊走活性を調べたところ、なんと予想通りにそのような活性が見られた。

 BMMPはすぐに販売できる医薬品になるわけではないが、癌転移抑制剤として発展できると考えている。

おわりに

 このように、生物活性をもつ化合物を創ることには様々な経緯があり、どれもおもしろい。そのためには化学、生物に亘る広い知識や技術が必要である。私たちの分野では、有機合成や生物実験を自分たちの手で行う。さらに必要な場合には、国内外の共同研究を行う。それぞれの研究者は、人の役に立ちたいという気持ち、好奇心、野心といった多様なモチベーションをもって研究している。共同研究においては、互いのモチベーションを理解し合うことが最も大切なのではないかと思っている。