研究内容

分子を創る

分子を創ることは、原子同士を結びつけ、その結合様式や立体化学を三次元的に精密制御することで、自然界には存在しない新たな構造を生み出す営みです。わずかな置換基の違いが反応性を左右し、立体構造の差異が物性や生物活性を大きく変えるため、分子を構築するための化学反応の開発が欠かせません。新規合成反応の開発や条件最適化を通して、狙いどおりの分子を効率よく合成することは、有機合成化学の中心的な研究課題です。

私たちが日常的に用いる医薬品の多くは、自然界に存在する天然物を出発点とし、化学の力によって改良されながら生み出されています。例えば、ヤナギ由来のサリシンやその分解物であるサリチル酸には鎮痛作用がありますが、苦みや胃腸障害などの副作用がありました。これに対し、化学修飾によって生み出されたアセチルサリチル酸(アスピリン)は、こうした課題を克服し、より実用的な医薬品として世界中で広く用いられています。

このように、有機合成化学は、生物活性物質をより有効に、より安全に、より使いやすいかたちへと導くことで、医薬品創製を支える重要な基盤となっています。分子薬化学では、「分子をつくること」を原点に、新たな生物活性物質の創出と、新たな機能や秩序を生み出す合成技術の開発をめざして研究を進めています。

触媒的不斉合成とは

分子薬化学の研究の大きな柱の一つが、「不斉合成」です。ある種の分子には、鏡に映した像のような関係にある二つの形(鏡像異性体)が存在します。見た目は似ていても、生体内では異なる形として認識されるため、医薬品では一方に望ましい作用があり、もう一方は効果が乏しいだけでなく、副作用の原因となる場合もあります。

この違いは、右手には右手用の手袋、左手には左手用の手袋が合うことにたとえると理解しやすいでしょう。一見よく似ていても、それぞれの手は2つの手袋の形を明確に識別しています。私たちの体の中でも、鏡像異性体は厳密に区別されています。そのため、副作用が少なく、優れた薬効を示す医薬品を実現するためには、望ましい片方の形だけを選択的に合成することが不可欠です。こうした目的分子の合成を高効率かつ高選択的に実現する技術のひとつが「触媒的不斉合成」であり、ごく少量の触媒から目的分子を大量に得ることができる、極めて洗練された合成手法です。

新たな分子が切り拓く革新的な合成戦略

高校で学ぶ化学では、さまざまな分子や化合物の性質を学びます。一方、薬学部で学ぶ化学は、そうした知識を基盤としながら、生命現象に関わる分子の働きを理解し、それらを自ら設計し、創り出すことへと発展していきます。医薬品を生み出すうえでは、優れた機能性だけでなく、その合成過程における環境負荷を抑えることも重要です。

従来の有機合成では、ニッケルやパラジウムなどの遷移金属を含む無機化合物が、触媒として大きな役割を果たしてきました。私たちの研究室でも、無機化合物の特性を活かした分子変換反応の開発に取り組んでいます。一方で、こうした手法には、重金属やレアメタルの使用、さらにはその回収や処理が課題となる場合も少なくありません。そこで私たちは、有機分子そのものがもつ潜在的な特性に着目し、有機分子自身を触媒として活用する「有機触媒反応」の開発を進めています。有機触媒は、環境負荷を抑えながら高度な分子変換を可能にする手法として、現代化学の重要な潮流の一つとなっています。

私たちの研究室では、無機化学と有機化学の双方から、新しい分子変換反応の創出に挑んでいます。

「できない」を「できる」に変える、常識にとらわれない触媒・反応開発

私たちの研究室では、これまで金属触媒が担ってきた反応を有機分子によって実現すること、さらに有機分子の特性を最大限に引き出し、従来は困難と考えられてきた分子変換反応を可能にすることをめざしています。研究室で注目しているホスフィンオキシドは、かつて反応の過程で生じる副生成物として扱われ、時には厄介分子とみなされることもありました。しかし私たちは、その分子の特性を深く見つめ直すことで、新しい有機分子触媒として活用する道を切り拓いてきました。

その結果、特徴的な研究成果として、カルボン酸のアルドール反応やアルキニル化反応などにおいて、先駆的な成果を発信しています。こうした反応はいずれも容易に実現できるものではありません。しかし、分子一つひとつの特徴を丁寧に見極め、「できない」を「できる」に変えようとする探究心によって、従来は困難とされてきた反応を実現しています。開発した反応は、私たちの研究室にとどまらず、他の研究グループにも応用され、医薬品の効率的な合成に活用されています。

私たちがめざしているのは、革新的な化学反応を開発することだけではありません。私たちの体の中では、無数の分子が絶えず動き、それらの形を変化させながら、生命活動に秩序を与えています。そうした分子一つひとつの動きを想像し、それらの振る舞いを理解することで、合成した分子が生み出す新たな機能の創造をめざしています。

機能をつくる

こうして創り出された分子は、「新しい機能」を引き出す医薬品の出発点となります。分子が固有に持つ電子的・立体的特徴は、生体内で特異的に認識され、多様な作用を生み出す基盤となります。精密にデザインされた分子は、意図した機能を発現し、医薬品となる可能性を秘めています。

すなわち、新たに得られた分子は、医薬候補化合物となるだけでなく、材料科学や生命科学における革新にもつながります。新たな分子機能の創出は、新たな生物活性につながり得る「機能をつくる」こととなり、社会貢献の本質的な手段となります。